8月に書く出産記 陣痛促進剤編3−1 |
2009/06/04/00:00 カテゴリー/[日常]日常
6月4日。ほとんど眠れずにぐったりとなって朝を迎えた。前日は痛みで夕食を食べられなかったけど、朝になっても食欲は全くない。陣痛は強さも間隔も平行線のまま。
朝食後、しばらくたってからラミナリアを取る処置が施される。入れる時は手術室だったけど、取る時はいつもの分娩室だった。カタン、カタンと硬い物を置く音がする。一体何を入れられてたんだろうか、私。
ラミナリアを使った結果、子宮口は開いたらしい。1センチ強だったのが4センチくらい開いてきたとか。でも、赤子はやはり全く下りてきてないと言われる。本当にどんだけ進まないんだろうか。
陣痛促進剤を3種使って、ラミナリアを使っても、微妙な結果だけが残っていく。旦那サンは帝王切開を頼むことを考え始めている。私は考えるのが面倒なんで全てを先生に委ねたいと思っていた。先生から提案されたのは、一番最初に使った弱い陣痛促進剤をもう一度使ってみることだった。
先生がそれがいいって言うんならそれで・・・という感じでハイハイとお願いする。これは成功だった。点滴を初めてしばらくすると、これまでにない痛さがやって来る。間隔も5分置きくらいになる。骨盤がバラバラになるような痛みに声も出ない。
旦那サンにベッドの脇にスタンバイしてもらってて、痛みが来たら腰を押してもらう。そうするとかなり楽になる。持ってきていたマタニティ本には、陣痛時のマッサージのことが書いてあった。あちこち押すと気持ちいいポイントがあるようだけど、腰以外を押されると痛みが増しそうな気がして半泣きで断る。しかし旦那サンは勝手に骨盤辺りや足の付け根を揉みだした。予想に反して、意外と気持ちいいもんだ。やっぱりマタニティ本は正しい。
マタニティ雑誌はちょいちょい借りて読んでたんだけど、陣痛の時は肛門をゴルフボールで押すと気持ちいと書いてあった。家族にやってもらってもいいし、自分でボールを床に置いて乗るようにしてもいいとのこと。家族にやってもらうなんて無理!私は耐える!と思ってたけど、無理だった。この痛みが少しでも楽になるなら、羞恥心なんかどうだっていい。
私
「非常に頼みづらいんだけど・・・」
本当に、あんなこと頼んですみませんでした。
夕方になり、母もやって来た。陣痛の痛みが来た時にマッサージする役を旦那サンと交代してくれる。これも陣痛前は予想外だった。親と微妙に壁がある私は、親にマッサージを頼むなんて絶対嫌だと思っていた。そんな弱みを親に見せたくないと思ってたんだけど、実際あの痛みが来るとプライドなんかどうでも良くなる。母は3人産んだだけあって、マッサージのポイントは的確だった。肛門を・・・という情けない頼みも、「あーはいはい」とすぐにわかってくれる。しかもこのばーさんは力が強い。
こんだけ痛いのに、またNST検査をすることになった。陣痛の痛みとは子宮の張りなんで、強さや頻度が正確に機械に表示される。そのNSTの機械を初めて見た旦那サンは興味津々。その時はまたマッサージ役は旦那サンにタッチしてたんだけど、私の腰やら臀部やらを押しながら機械を見ている。
旦那サン
「あ、陣痛きたやろ。数字が上がっていってる」
旦那サンは物事を2つ同時にできない人だ。NSTの機械を見ているとマッサージのポイントがどんどんずれていき、押す強さもいい加減になっていく。最初は息も絶え絶えにお願いの形で注意を促してたけど、一向に改善されない。プチッ。
私
「その機械見てたら押してるとこがどんどんずれて行って効かない!やめて!見ないで!」
陣痛が引いた隙に一気に言った。母も苦笑していた。
内診で子宮口をチェックすると言われ、これまた陣痛が引いた隙にサッと分娩室に移動する。先生は忙しい人なんで待たされる形になるんだけど、待ってる時も痛いのなんのって。優しい看護師さんのKさんは通った時に腰を押してくれ、私の呼吸を整える手助けをしてくれる。さすがプロだけあって、マッサージする手は本当にマジックハンド。しかしクールな看護師さんは必要なチェックだけ。そりゃ陣痛に苦しむ妊婦なんて腐るほど見てきてるだろうけどさー。Kさんは本当、優しいなぁ。
やってきた先生は私の顔を見るなり、
先生
「だいぶ顔に余裕がなくなってきましたね。陣痛が本格化してきたかな」
と言う。確かに、痛い時は話すどころじゃないほど痛いです。前日、これだけ痛いのに「まだ顔にも余裕がある」ってどういうこと!?と軽く怒った自分は浅はかでした。すみませんでした。
内診は暴れたいほど痛かった。でも、産む時はきっともっと痛いだろうと思って耐えた。それなのに、
先生
「子宮口はさっきとあまり変わりませんね。それから、赤ちゃんが全く下りてきていません」
うらぁ!下りてこいや、赤!
どんだけ出てきたくないのか。本当に歯がゆい。もしかしてエコー写真やNST検査ではわからない異常があるんじゃなかろうか。ちょっと不安にもなってくる。
陣痛が本格化してきてるんで、点滴は止めてあとは自然に陣痛が進むのを待つことになった。
が!
点滴を止めてしばらくすると、少しずつ陣痛の間隔が広くなり始めた。最初は、“気のせいかなぁ”とか“今回だけたまたま計り方がおかしかったんじゃないかな”とか自分に言い聞かせてたけど、やっぱり間違いなく間隔が広がってきている。5分を切っていた間隔が7分くらいになっていた。痛みも徐々に緩くなってきているようだ。NSTの機械で計ると、もうごまかしようもなく数値が低くなってきている。何なんですかね、この体は。
間隔が広がり、痛みが緩くなってきてるとはいえ、充分痛い。痛みがやってきている時は旦那サンに腰を強くさすってもらってないと耐えられないくらい痛い。そんな中、先生に呼ばれた。忙しい先生を待っている間も陣痛はやってきて、椅子に座っているのもきつい。痛みがやってきたら腰をさすってもらうよう旦那サンに頼んでいたら、優しい看護師さんのKさんが
Kさん
「代わりますよ」
と言って旦那サンと交代してくれた。本っ当にKさんは優しい。しかもプロなんで旦那サンの何倍も上手い。この状態で先生の話を聞くことができるのは非常に助かる。
先生
「このまま引き続き経過観察をしてもいいし、もう一度陣痛促進剤を使ってもいいし、どうしますか?」
と言われた。経過観察しても陣痛が治まっていく気がする。もう一度陣痛促進剤を使ったところで、どんなに陣痛が進んでも胎児が下りてこないことには産まれないことも学んだ。もう一度陣痛促進剤使っても無駄に痛みが長びくだけな気がする。
さらに旦那サンの休みのこともある。旦那サンの会社は配偶者の出産の時、2日間休めることになっている。6/2に仕事が終わってすぐ来てくれ、3日、4日といてくれたけど、5日には仕事に行かないといけない。この日のうちに産まないと、産まれたばかりの赤ん坊を旦那サンに見てもらうことはできない。
心はもう決まっていた。切って出してもらうべきなんだろう。ただ私は、人生で手術はおろか大きな怪我さえしたことがない。自分の体にメスで切り込みを入れられ、用がすんだらそこを縫い合わせるって・・・。想像しただけでも怖いし抵抗がある。頭では帝王切開すべきだと思ってるんだけど、心情的に決心がつかない。普段の状態なら頭で判断したことを最優先にするんだけど、陣痛の痛みと寝てない&食べてないでボロボロの状態の私にはスパッと決めるだけの判断力はなかった。
そんな私より先に
旦那サン
「もう帝王切開していただくことできないですかね?」
と言う配偶者。横で肯く母親。今思えば決めてくれてありがたかったんだけど、この時はまだ決心がついてなかったんで口をパクパクさせて2人を凝視してしまった。先生もそれが目に入ったんだろう。
先生
「実はさっき帝王切開の手術がありまして、今ならスタッフが残ってるんですよ。あとは麻酔の先生に戻って来れるか電話をして、OKがもらえたらすぐ手術ができる状態です。
ちょっと3人で話し合いをしてみてください」
と言って去って行った。何ですか、この渡に船状態は。
自力で産むか帝王切開か。自力で産むのが難しいのは私自身もわかっている。寝てない食べてない痛いの三重苦がこれ以上続くのもつらい。悩んだところで赤子が下りてくるわけでもない。私は旦那サンに向かって肯いた。それだけで理解した旦那サンはパパーッと走って行って、まだ廊下にいた先生に帝王切開を決断した旨を伝えて戻って来た。
やっとお腹から赤さんを出せる安堵感と、手術への恐怖感と、相変わらず続く陣痛の痛みでぼんやりしていると、ずっと腰をさすってくれてたKさんがまだまだ私の腰をさすりながら
Kさん
「よく頑張ったね。赤ちゃんが大きくなったら、お母さんこんなに頑張ったよって教えてあげんといけんですね。うん、頑張った頑張った」
と優しく言ってくれた。それを聞いたら何だか涙が出てきた。
帝王切開なんて出産スタイルの一種で、歴史も古いしポピュラーだし、麻酔使うから自力で産むより痛くはないんじゃないかと思う。けど、本来あるべき形で産めなかったことが何だか悔しい。けど泣くほど悔しいかというとそうでもない。何であの時あんなに涙が止まらなかったのかが今もって謎だ。弱気になってたんだろうか。深層心理だろうか。
うつむいて泣きながら病室に戻って行ったけど、母親が見てたからすぐ泣きやんだ。泣いてるところって、配偶者に見られるのはいいけど親には見られたくない。頑張って泣きやんだ。
部屋で待つことしばし。再び分娩室に呼ばれて下着を取った状態で分娩台に乗る。この3日で何度ここに乗っただろうか。でももうこれも終わり。最終的にはこの分娩台ではなく手術台に乗るんだけど。 人生初、導尿をされる。入れる時はちょっとキリキリ痛かったけど、終わると全くどうもないのが不思議だ。よくできてるなぁと感心する。
次は台の上で少しだけ剃毛される。看護師さん2人がかりでへそ下辺りの腹部を消毒。棒の先に付いた何かでナデナデって感じだったから、緊張してるのに笑いそうになってしまった。
で、台に寝っころがったままの状態で手術室に連れて行かれた。台というか、ドラマとかで病人が運ばれるあの簡易ベッドみたいなやつ。それに寝せられて看護師さん2人掛かりでゴロゴロ運ばれて手術室まで行く。
「手術室」って言葉は病院で見かけても何だかゾッとするのに、まさか自分がそこで手術をされる日が来るとは思いもしなかった。
朝食後、しばらくたってからラミナリアを取る処置が施される。入れる時は手術室だったけど、取る時はいつもの分娩室だった。カタン、カタンと硬い物を置く音がする。一体何を入れられてたんだろうか、私。
ラミナリアを使った結果、子宮口は開いたらしい。1センチ強だったのが4センチくらい開いてきたとか。でも、赤子はやはり全く下りてきてないと言われる。本当にどんだけ進まないんだろうか。
陣痛促進剤を3種使って、ラミナリアを使っても、微妙な結果だけが残っていく。旦那サンは帝王切開を頼むことを考え始めている。私は考えるのが面倒なんで全てを先生に委ねたいと思っていた。先生から提案されたのは、一番最初に使った弱い陣痛促進剤をもう一度使ってみることだった。
先生がそれがいいって言うんならそれで・・・という感じでハイハイとお願いする。これは成功だった。点滴を初めてしばらくすると、これまでにない痛さがやって来る。間隔も5分置きくらいになる。骨盤がバラバラになるような痛みに声も出ない。
旦那サンにベッドの脇にスタンバイしてもらってて、痛みが来たら腰を押してもらう。そうするとかなり楽になる。持ってきていたマタニティ本には、陣痛時のマッサージのことが書いてあった。あちこち押すと気持ちいいポイントがあるようだけど、腰以外を押されると痛みが増しそうな気がして半泣きで断る。しかし旦那サンは勝手に骨盤辺りや足の付け根を揉みだした。予想に反して、意外と気持ちいいもんだ。やっぱりマタニティ本は正しい。
マタニティ雑誌はちょいちょい借りて読んでたんだけど、陣痛の時は肛門をゴルフボールで押すと気持ちいと書いてあった。家族にやってもらってもいいし、自分でボールを床に置いて乗るようにしてもいいとのこと。家族にやってもらうなんて無理!私は耐える!と思ってたけど、無理だった。この痛みが少しでも楽になるなら、羞恥心なんかどうだっていい。
私
「非常に頼みづらいんだけど・・・」
本当に、あんなこと頼んですみませんでした。
夕方になり、母もやって来た。陣痛の痛みが来た時にマッサージする役を旦那サンと交代してくれる。これも陣痛前は予想外だった。親と微妙に壁がある私は、親にマッサージを頼むなんて絶対嫌だと思っていた。そんな弱みを親に見せたくないと思ってたんだけど、実際あの痛みが来るとプライドなんかどうでも良くなる。母は3人産んだだけあって、マッサージのポイントは的確だった。肛門を・・・という情けない頼みも、「あーはいはい」とすぐにわかってくれる。しかもこのばーさんは力が強い。
こんだけ痛いのに、またNST検査をすることになった。陣痛の痛みとは子宮の張りなんで、強さや頻度が正確に機械に表示される。そのNSTの機械を初めて見た旦那サンは興味津々。その時はまたマッサージ役は旦那サンにタッチしてたんだけど、私の腰やら臀部やらを押しながら機械を見ている。
旦那サン
「あ、陣痛きたやろ。数字が上がっていってる」
旦那サンは物事を2つ同時にできない人だ。NSTの機械を見ているとマッサージのポイントがどんどんずれていき、押す強さもいい加減になっていく。最初は息も絶え絶えにお願いの形で注意を促してたけど、一向に改善されない。プチッ。
私
「その機械見てたら押してるとこがどんどんずれて行って効かない!やめて!見ないで!」
陣痛が引いた隙に一気に言った。母も苦笑していた。
内診で子宮口をチェックすると言われ、これまた陣痛が引いた隙にサッと分娩室に移動する。先生は忙しい人なんで待たされる形になるんだけど、待ってる時も痛いのなんのって。優しい看護師さんのKさんは通った時に腰を押してくれ、私の呼吸を整える手助けをしてくれる。さすがプロだけあって、マッサージする手は本当にマジックハンド。しかしクールな看護師さんは必要なチェックだけ。そりゃ陣痛に苦しむ妊婦なんて腐るほど見てきてるだろうけどさー。Kさんは本当、優しいなぁ。
やってきた先生は私の顔を見るなり、
先生
「だいぶ顔に余裕がなくなってきましたね。陣痛が本格化してきたかな」
と言う。確かに、痛い時は話すどころじゃないほど痛いです。前日、これだけ痛いのに「まだ顔にも余裕がある」ってどういうこと!?と軽く怒った自分は浅はかでした。すみませんでした。
内診は暴れたいほど痛かった。でも、産む時はきっともっと痛いだろうと思って耐えた。それなのに、
先生
「子宮口はさっきとあまり変わりませんね。それから、赤ちゃんが全く下りてきていません」
うらぁ!下りてこいや、赤!

どんだけ出てきたくないのか。本当に歯がゆい。もしかしてエコー写真やNST検査ではわからない異常があるんじゃなかろうか。ちょっと不安にもなってくる。
陣痛が本格化してきてるんで、点滴は止めてあとは自然に陣痛が進むのを待つことになった。
が!
点滴を止めてしばらくすると、少しずつ陣痛の間隔が広くなり始めた。最初は、“気のせいかなぁ”とか“今回だけたまたま計り方がおかしかったんじゃないかな”とか自分に言い聞かせてたけど、やっぱり間違いなく間隔が広がってきている。5分を切っていた間隔が7分くらいになっていた。痛みも徐々に緩くなってきているようだ。NSTの機械で計ると、もうごまかしようもなく数値が低くなってきている。何なんですかね、この体は。
間隔が広がり、痛みが緩くなってきてるとはいえ、充分痛い。痛みがやってきている時は旦那サンに腰を強くさすってもらってないと耐えられないくらい痛い。そんな中、先生に呼ばれた。忙しい先生を待っている間も陣痛はやってきて、椅子に座っているのもきつい。痛みがやってきたら腰をさすってもらうよう旦那サンに頼んでいたら、優しい看護師さんのKさんが
Kさん
「代わりますよ」
と言って旦那サンと交代してくれた。本っ当にKさんは優しい。しかもプロなんで旦那サンの何倍も上手い。この状態で先生の話を聞くことができるのは非常に助かる。
先生
「このまま引き続き経過観察をしてもいいし、もう一度陣痛促進剤を使ってもいいし、どうしますか?」
と言われた。経過観察しても陣痛が治まっていく気がする。もう一度陣痛促進剤を使ったところで、どんなに陣痛が進んでも胎児が下りてこないことには産まれないことも学んだ。もう一度陣痛促進剤使っても無駄に痛みが長びくだけな気がする。
さらに旦那サンの休みのこともある。旦那サンの会社は配偶者の出産の時、2日間休めることになっている。6/2に仕事が終わってすぐ来てくれ、3日、4日といてくれたけど、5日には仕事に行かないといけない。この日のうちに産まないと、産まれたばかりの赤ん坊を旦那サンに見てもらうことはできない。
心はもう決まっていた。切って出してもらうべきなんだろう。ただ私は、人生で手術はおろか大きな怪我さえしたことがない。自分の体にメスで切り込みを入れられ、用がすんだらそこを縫い合わせるって・・・。想像しただけでも怖いし抵抗がある。頭では帝王切開すべきだと思ってるんだけど、心情的に決心がつかない。普段の状態なら頭で判断したことを最優先にするんだけど、陣痛の痛みと寝てない&食べてないでボロボロの状態の私にはスパッと決めるだけの判断力はなかった。
そんな私より先に
旦那サン
「もう帝王切開していただくことできないですかね?」
と言う配偶者。横で肯く母親。今思えば決めてくれてありがたかったんだけど、この時はまだ決心がついてなかったんで口をパクパクさせて2人を凝視してしまった。先生もそれが目に入ったんだろう。
先生
「実はさっき帝王切開の手術がありまして、今ならスタッフが残ってるんですよ。あとは麻酔の先生に戻って来れるか電話をして、OKがもらえたらすぐ手術ができる状態です。
ちょっと3人で話し合いをしてみてください」
と言って去って行った。何ですか、この渡に船状態は。
自力で産むか帝王切開か。自力で産むのが難しいのは私自身もわかっている。寝てない食べてない痛いの三重苦がこれ以上続くのもつらい。悩んだところで赤子が下りてくるわけでもない。私は旦那サンに向かって肯いた。それだけで理解した旦那サンはパパーッと走って行って、まだ廊下にいた先生に帝王切開を決断した旨を伝えて戻って来た。
やっとお腹から赤さんを出せる安堵感と、手術への恐怖感と、相変わらず続く陣痛の痛みでぼんやりしていると、ずっと腰をさすってくれてたKさんがまだまだ私の腰をさすりながら
Kさん
「よく頑張ったね。赤ちゃんが大きくなったら、お母さんこんなに頑張ったよって教えてあげんといけんですね。うん、頑張った頑張った」
と優しく言ってくれた。それを聞いたら何だか涙が出てきた。
帝王切開なんて出産スタイルの一種で、歴史も古いしポピュラーだし、麻酔使うから自力で産むより痛くはないんじゃないかと思う。けど、本来あるべき形で産めなかったことが何だか悔しい。けど泣くほど悔しいかというとそうでもない。何であの時あんなに涙が止まらなかったのかが今もって謎だ。弱気になってたんだろうか。深層心理だろうか。
うつむいて泣きながら病室に戻って行ったけど、母親が見てたからすぐ泣きやんだ。泣いてるところって、配偶者に見られるのはいいけど親には見られたくない。頑張って泣きやんだ。
部屋で待つことしばし。再び分娩室に呼ばれて下着を取った状態で分娩台に乗る。この3日で何度ここに乗っただろうか。でももうこれも終わり。最終的にはこの分娩台ではなく手術台に乗るんだけど。 人生初、導尿をされる。入れる時はちょっとキリキリ痛かったけど、終わると全くどうもないのが不思議だ。よくできてるなぁと感心する。
次は台の上で少しだけ剃毛される。看護師さん2人がかりでへそ下辺りの腹部を消毒。棒の先に付いた何かでナデナデって感じだったから、緊張してるのに笑いそうになってしまった。
で、台に寝っころがったままの状態で手術室に連れて行かれた。台というか、ドラマとかで病人が運ばれるあの簡易ベッドみたいなやつ。それに寝せられて看護師さん2人掛かりでゴロゴロ運ばれて手術室まで行く。
「手術室」って言葉は病院で見かけても何だかゾッとするのに、まさか自分がそこで手術をされる日が来るとは思いもしなかった。
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8月に書く出産記 陣痛促進剤編2 |
2009/06/03/00:00 カテゴリー/[日常]日常
6月3日。陣痛は相変わらず緩く続いていて、間隔はなかなか狭まらない。
この日は口径からの陣痛促進剤。きっちり1時間に1錠ずつ錠剤を飲むことになっている。歩きまわれば陣痛が早まりやすいため、先生から外に散歩に行くことを勧められた。
先生
「ご主人が一緒だから大丈夫ですよね」
朝食後に諸検査をし、1つ目の薬を飲んでから旦那サンと散歩に出掛けた。1時間後に2錠目を飲まないといけないから、あまり遠くには行けない。すぐ近くにある小さな寂れた商店街に行き、軽くうろついて帰る。薬を飲んでまた商店街に行く。ということを繰り返していた。商店街からちょっと入ったところにある元職場にも行きたかったけど、「実は今軽く陣痛が始まったところで〜」と言うとさすがに引かれるかと思ってやめた。何より雨がひどかったし。上着を1枚持ってきてたけど、それでも寒かった。
何度目かの散歩で、ちょっとずつ痛みが強くなってきてることに気付いた。ケータイで計っていた陣痛間隔も確実に狭まってきている。何ともない時に歩き、痛い時は立ち止まる。立ち止まると耐えられる程度だからきっとまだまだなんだろう。けど、歩けない程度には痛い。
少し歩いては旦那サンに寄り添って立ち止まる明らかに臨月の妊婦を見て、お年寄りのグループが心配そうに声を掛けた。
おじいさん
「ほら、こっち来て座りなさい」
おばあさん
「無理したらいけんって!」
旦那サン
「大丈夫です。陣痛中なんですよ」
いや、それってさらっと言われて安心できる言葉じゃないと思うよ。痛みが去るのを待って、
私
「○○産婦人科にかかってるんですけど散歩に行かされてるんです〜」
と言った。人生経験豊富な方々だろうから、これで“陣痛がなかなか進まないから先生から散歩に行かされた妊婦”とわかってくれるだろう。しかしこの散歩も、雨が豪雨になったんで中止になった。
昼食後、またもや諸検査。
看護師さん
「大丈夫ですか?生理痛と比べてどっちが痛いですか?」
私の生理痛は結構重い。この時は生理痛と比べたらまだ全然平気だった。そう思っていたけど、段々と失神並みの生理痛に近くなっていく。痛さの種類は生理痛によく似ている。子宮がゴツゴツした石になって内側から体を攻撃してるみたいな、重痛い感じ。そんな状態で行われる内診の痛いことこの上ない。それなのに、
先生
「うーん、子宮口はほんの少しだけ開いてきましたね」
少し!?少しって・・・。陣痛促進剤3種目を半分以上摂取していて、まだ生まれないとは・・・。本当にどんだけ出る気ないんだろうか。いや、私の体が出す気ないのか?
この辺りから先生が「器具」の話をし始めた。
先生
「器具を入れたら子宮口は開きやすいですが、やっぱり内部に入れるのでストレスになったりします。だからできれば自然に陣痛を進ませたいんですけど」
「器具」って何だよっ!と思ってたけど、痛みで弱気になっていた私は肯くことしかできなかった。ストレスになるって、つまり痛いってことなんだよね。無理やり痛くなるより自然に痛くなりたい。最初はそう思っていた。
錠剤の陣痛促進剤6錠を全て飲み終えて。段々と痛みがやって来る間隔は短くなり、強さが増してきた。確か12〜13分間隔だったと思う。この時は子宮が痛いというより骨盤が締め付けられてるみたいな痛さだ。
またもや産まれる気配もないのに分娩室でNST検査が行われる。身をよじって痛みに耐えたいのに、硬い台の上でじっとしてないといけないのがつらい。
私
「う〜ん・・・痛い・・・痛い・・・」
せめて声くらい出していたい。生まれて初めて気付いたけど、痛い時には黙って耐えるより「痛い」って言った方がちょっと楽なんだなぁ。本当ならもっと大声で「痛いーっ!」と言いたいところだけど、分娩室の隣はナースセンターなんで恥ずかしくて小声で言っていた。
時々見に来る看護師さんは、端的でわかりやすい説明をするけど無表情な若い女性と、とても私が痛がってると腰をさすってくれる優しい女性の2人。ちなみに優しい方のKさんという人は前日に点滴を刺してくれたけどめっちゃ痛かった人だ。その後の採血では私の腕にでっかい痣をこさえてくれた。とてもいい看護師さんだけど注射は本当に下手みたいだ。
NST検査のために放置されつつ痛みに耐えるしかない時間が長時間続いた。やっと先生が来て、激痛の内診。しかしまだ子宮口の開きは小さいとのこと。
先生
「痛い?痛みが来た時話せないくらい?」
私
「いえ・・・ギリギリ話せます」
先生
「じゃあまだですね。本当に痛くなったら話はできないんですよ。
顔にもまだ余裕がありますし。ね?」
同意を求められた看護師さんも肯く。そうですよね、私もまだなんじゃないかと思いましたよ。でもずっとこんな痛みが続くと、もうすぐなんじゃないかと思い込みたくなってきますよ。
結局この日も子宮口は満足に開かず、胎児もほとんど下りてこなかった。夜になり、分娩室で検査をした後に旦那サンと、様子を見に来た母が先生に呼ばれた。例の「器具」ってやつを使うかどうかだ。「ストレスになる」と聞いた以上、できれば使いたくない。でも使った方がいいんだろうか。先生はあくまで方法を紹介するだけで、使った方がいいとか使わなくてもいいとか判断の基準になるようなことは言ってくれない。使うか使わないかは完全に私が決めないといけないようだ。
母
「それで進むようなら、やってください」
って、おい。私が「使います」って言う勇気を振り絞っている最中に!
先生が私に確認の眼差しを送ってくる。これはもう覚悟を決めよう。
私
「お願いします」
その時私はまたもや、産まれる気配もないのに分娩室にいた。旦那サンと母は病室で待つように言われ、私だけが残された。てっきりそこで処置が行われるのかと思っていたら、別の場所に連れて行かれる。そう、 手術室 。
「ラミナリア を使います」としか言われてなかったんで具体的に何をされるのかはわからないままショーツを脱いで手術台に乗るように言われる。詳しく聞いた方が怖い気がして、何も知らないまま全てを先生に委ねることにした。
手術台で脚を開かれ、何かをされる。
私
「いたたたたたた・・・。いたたたたたた・・・。」
“痛い時は痛いと言うと楽”の法則で、普通の声で痛い痛い言ってる間に終わった。内診程度の痛さで、思ったよりは耐えれる痛みだった。終わったら車椅子に乗せられて部屋に連れてってもらう。人生初の車椅子体験だった。
母に旦那サンを連れ帰ってもらい、旦那サンは私の実家で夕食を食べてお風呂に入ってまた病室に泊まってくれた。何かもう申し訳なくて、痛さが心細くて、泣きながら迷惑を掛けてることを謝った。
陣痛は10分置きで結構な強さ。最初は痛がる私を励ましてくれてた旦那サンだったけど、夜中になるとあっさり眠りなさる。うちの旦那サンは一度寝るとなかなか起きない。夜中に私が大声で「痛いっ!痛いっ!」と言ってるのに起きる気配なはい。定期的にチェックに来る看護師さんだけが私の癒しだ。
陣痛間隔はほとんど短くなることはなく、痛みで全く眠れないまま朝になった。
この日は口径からの陣痛促進剤。きっちり1時間に1錠ずつ錠剤を飲むことになっている。歩きまわれば陣痛が早まりやすいため、先生から外に散歩に行くことを勧められた。
先生
「ご主人が一緒だから大丈夫ですよね」
朝食後に諸検査をし、1つ目の薬を飲んでから旦那サンと散歩に出掛けた。1時間後に2錠目を飲まないといけないから、あまり遠くには行けない。すぐ近くにある小さな寂れた商店街に行き、軽くうろついて帰る。薬を飲んでまた商店街に行く。ということを繰り返していた。商店街からちょっと入ったところにある元職場にも行きたかったけど、「実は今軽く陣痛が始まったところで〜」と言うとさすがに引かれるかと思ってやめた。何より雨がひどかったし。上着を1枚持ってきてたけど、それでも寒かった。
何度目かの散歩で、ちょっとずつ痛みが強くなってきてることに気付いた。ケータイで計っていた陣痛間隔も確実に狭まってきている。何ともない時に歩き、痛い時は立ち止まる。立ち止まると耐えられる程度だからきっとまだまだなんだろう。けど、歩けない程度には痛い。
少し歩いては旦那サンに寄り添って立ち止まる明らかに臨月の妊婦を見て、お年寄りのグループが心配そうに声を掛けた。
おじいさん
「ほら、こっち来て座りなさい」
おばあさん
「無理したらいけんって!」
旦那サン
「大丈夫です。陣痛中なんですよ」
いや、それってさらっと言われて安心できる言葉じゃないと思うよ。痛みが去るのを待って、
私
「○○産婦人科にかかってるんですけど散歩に行かされてるんです〜」
と言った。人生経験豊富な方々だろうから、これで“陣痛がなかなか進まないから先生から散歩に行かされた妊婦”とわかってくれるだろう。しかしこの散歩も、雨が豪雨になったんで中止になった。
昼食後、またもや諸検査。
看護師さん
「大丈夫ですか?生理痛と比べてどっちが痛いですか?」
私の生理痛は結構重い。この時は生理痛と比べたらまだ全然平気だった。そう思っていたけど、段々と失神並みの生理痛に近くなっていく。痛さの種類は生理痛によく似ている。子宮がゴツゴツした石になって内側から体を攻撃してるみたいな、重痛い感じ。そんな状態で行われる内診の痛いことこの上ない。それなのに、
先生
「うーん、子宮口はほんの少しだけ開いてきましたね」
少し!?少しって・・・。陣痛促進剤3種目を半分以上摂取していて、まだ生まれないとは・・・。本当にどんだけ出る気ないんだろうか。いや、私の体が出す気ないのか?
この辺りから先生が「器具」の話をし始めた。
先生
「器具を入れたら子宮口は開きやすいですが、やっぱり内部に入れるのでストレスになったりします。だからできれば自然に陣痛を進ませたいんですけど」
「器具」って何だよっ!と思ってたけど、痛みで弱気になっていた私は肯くことしかできなかった。ストレスになるって、つまり痛いってことなんだよね。無理やり痛くなるより自然に痛くなりたい。最初はそう思っていた。
錠剤の陣痛促進剤6錠を全て飲み終えて。段々と痛みがやって来る間隔は短くなり、強さが増してきた。確か12〜13分間隔だったと思う。この時は子宮が痛いというより骨盤が締め付けられてるみたいな痛さだ。
またもや産まれる気配もないのに分娩室でNST検査が行われる。身をよじって痛みに耐えたいのに、硬い台の上でじっとしてないといけないのがつらい。
私
「う〜ん・・・痛い・・・痛い・・・」
せめて声くらい出していたい。生まれて初めて気付いたけど、痛い時には黙って耐えるより「痛い」って言った方がちょっと楽なんだなぁ。本当ならもっと大声で「痛いーっ!」と言いたいところだけど、分娩室の隣はナースセンターなんで恥ずかしくて小声で言っていた。
時々見に来る看護師さんは、端的でわかりやすい説明をするけど無表情な若い女性と、とても私が痛がってると腰をさすってくれる優しい女性の2人。ちなみに優しい方のKさんという人は前日に点滴を刺してくれたけどめっちゃ痛かった人だ。その後の採血では私の腕にでっかい痣をこさえてくれた。とてもいい看護師さんだけど注射は本当に下手みたいだ。
NST検査のために放置されつつ痛みに耐えるしかない時間が長時間続いた。やっと先生が来て、激痛の内診。しかしまだ子宮口の開きは小さいとのこと。
先生
「痛い?痛みが来た時話せないくらい?」
私
「いえ・・・ギリギリ話せます」
先生
「じゃあまだですね。本当に痛くなったら話はできないんですよ。
顔にもまだ余裕がありますし。ね?」
同意を求められた看護師さんも肯く。そうですよね、私もまだなんじゃないかと思いましたよ。でもずっとこんな痛みが続くと、もうすぐなんじゃないかと思い込みたくなってきますよ。
結局この日も子宮口は満足に開かず、胎児もほとんど下りてこなかった。夜になり、分娩室で検査をした後に旦那サンと、様子を見に来た母が先生に呼ばれた。例の「器具」ってやつを使うかどうかだ。「ストレスになる」と聞いた以上、できれば使いたくない。でも使った方がいいんだろうか。先生はあくまで方法を紹介するだけで、使った方がいいとか使わなくてもいいとか判断の基準になるようなことは言ってくれない。使うか使わないかは完全に私が決めないといけないようだ。
母
「それで進むようなら、やってください」
って、おい。私が「使います」って言う勇気を振り絞っている最中に!
先生が私に確認の眼差しを送ってくる。これはもう覚悟を決めよう。
私
「お願いします」
その時私はまたもや、産まれる気配もないのに分娩室にいた。旦那サンと母は病室で待つように言われ、私だけが残された。てっきりそこで処置が行われるのかと思っていたら、別の場所に連れて行かれる。そう、 手術室 。
「ラミナリア を使います」としか言われてなかったんで具体的に何をされるのかはわからないままショーツを脱いで手術台に乗るように言われる。詳しく聞いた方が怖い気がして、何も知らないまま全てを先生に委ねることにした。
手術台で脚を開かれ、何かをされる。
私
「いたたたたたた・・・。いたたたたたた・・・。」
“痛い時は痛いと言うと楽”の法則で、普通の声で痛い痛い言ってる間に終わった。内診程度の痛さで、思ったよりは耐えれる痛みだった。終わったら車椅子に乗せられて部屋に連れてってもらう。人生初の車椅子体験だった。
母に旦那サンを連れ帰ってもらい、旦那サンは私の実家で夕食を食べてお風呂に入ってまた病室に泊まってくれた。何かもう申し訳なくて、痛さが心細くて、泣きながら迷惑を掛けてることを謝った。
陣痛は10分置きで結構な強さ。最初は痛がる私を励ましてくれてた旦那サンだったけど、夜中になるとあっさり眠りなさる。うちの旦那サンは一度寝るとなかなか起きない。夜中に私が大声で「痛いっ!痛いっ!」と言ってるのに起きる気配なはい。定期的にチェックに来る看護師さんだけが私の癒しだ。
陣痛間隔はほとんど短くなることはなく、痛みで全く眠れないまま朝になった。
とりあえず点滴取れた\(^O^)/ |
2009/06/02/21:53 カテゴリー/[モブログ]モブログ
夜になったんでとりあえず点滴中断。ほぼ12時間刺しっぱなしはなかなかブルーな気分だった。
どうやら私は風邪引いたらしく、そのせいで熱があり、そのせいで赤子の脈が一時期上がりすぎてたみたい。なんでよりによって今、風邪なんか・・・。ちなみに熱は上がってて、現在38.2です。風邪薬処方されたから、明日には治るといいけど。
明日は3時以降に、今度は別の方法で促進剤使っていくらしい。それまでに今日の点滴の薬が、ちゃんと呼び水になってくれてたらいいんだけど。
どうやら私は風邪引いたらしく、そのせいで熱があり、そのせいで赤子の脈が一時期上がりすぎてたみたい。なんでよりによって今、風邪なんか・・・。ちなみに熱は上がってて、現在38.2です。風邪薬処方されたから、明日には治るといいけど。
明日は3時以降に、今度は別の方法で促進剤使っていくらしい。それまでに今日の点滴の薬が、ちゃんと呼び水になってくれてたらいいんだけど。
ここにきて腰痛 |
2009/06/02/19:10 カテゴリー/[モブログ]モブログ
腰が物凄く痛い。寝ても座っても立っても体操してもヨガしても、何やっても痛い。しかし痛みに波があるわけじゃないから、陣痛とは別物みたい。
しかしこの痛さは筋肉の痛さじゃない。生理痛とよく似てるから、子宮の痛みだな、これは。
さっきの検査で、今夜中のお産はなさそうだから一回帰らされることになった。でもさっきから陣痛っぽいのはきてるんですが。どうなるんだ、私。
しかしこの痛さは筋肉の痛さじゃない。生理痛とよく似てるから、子宮の痛みだな、これは。
さっきの検査で、今夜中のお産はなさそうだから一回帰らされることになった。でもさっきから陣痛っぽいのはきてるんですが。どうなるんだ、私。
昼ごはん |
2009/06/02/12:46 カテゴリー/[モブログ]モブログ

人生初の病院食。メインが冷凍餃子なのと、全体的に味濃いめなのが残念な気分にさせてくれる。デザートは飴なのがまた謎。
左手首上にした点滴の痛みが持続しすぎだったから右に変えてもらった。別の人がしたからか、そこまで痛くない。けどごはんが食べづらい・・・。
ちなみに左に点滴刺した人、その後の採血でも痛いし腫れた。だめじゃん。