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訃報

2011/12/06/16:48  カテゴリー/[日常]日常

 昨日、祖父が亡くなったというメールが来た。母方の祖父なんだけど、祖父って言っても本当は祖父じゃなくて大叔父に当たる人。私の母は、3歳の時に災害で両親を亡くしてる。3歳の母と1歳前の母の弟を引き取ったのが母の父の弟で、その後生まれた実子2人姉妹と一緒に育ててくれた。
 私と兄はわりと小さいうちから、祖父が本当は母の父じゃなくて、母の父の弟だって知ってはいた。だけど母は父と呼ぶし、私達も「おじいちゃん」と呼ぶから、父方の祖父とは微妙に関係は違うけどおじいちゃんはおじいちゃんだって思って育った。
 今になって思い返してみても、私達の事も本当の孫同然に本当によく可愛がってくれたと思う。明るくて厳しくて優しいおじいちゃんだった。普段は明朗快活な禿げじいちゃんで、私と兄が走り回ったり柱に登ったり家中探検したりしてるのを笑って見てる。だけど帰る時に手をついて挨拶しなかったりしたら、ちゃんとできるまで帰らせてくれないとかいうような厳しい面もあった。
 私は結婚する時、親の口出し・それに反抗した私への罵倒に頑なな気持ちになっていた。結婚式では泣きもせず、これでやっと自由になったと幸せを締めてた翌日、もらったお祝いを整理しようと開封して金額チェック等を始めた。そしたら、祖父からのお祝いの内袋にいつもの達筆な字で

「志帆美ちゃん結婚おめでとう。心から嬉しく思います」

って書いてあった。これを見て、初めて身内に結婚を祝ってもらえた気がして一人ですっごい泣いたのを覚えてる。結婚に関して、嬉しくて泣いたのはこれが最初で最後だった。
 礼儀とか行儀に厳しかった祖父が、普通ならマナー違反である場所にわざわざ書いてくれた事が嬉しくて嬉しくて、結婚の事を手離しで喜んでくれてありがとうって心から思った。そういえば、披露宴のキャンドルサービスの時に、ニコニコ笑いながらやってきて旦那サンに握手を求めてたっけ。
 本当に分け隔てなかったというか、遅く生まれた実の孫以上に可愛がってもらったように思う。ここ数年は少しずつボケてきてたし、今年は何かと病気がちで入院することも多かったから、覚悟はしてた。だから、亡くなったというメールを受け取った時も驚きはしなかった。
 お葬式は、妊娠中だから無理しなくていいって事で来なくていいと言われた。喪服来てみたら辛うじてボテ腹も入ったし、多少無理してでもぴよさんと一緒に電車に飛び乗って行こうか迷ったけど、母子共に多少風邪気味なんで結局行かない事にしてしまった。
 行かないと決めたものの、最期の見送りはしたかったなぁとも思う。でも親が来なくていいと言った以上、行くと私の送り迎えとかで手間掛けるしなぁ。母とは兄弟同然に育った祖父の実子姉妹は、ぶっちゃけあまり頼りにならなくて何かと母を頼る。母の実の弟に関しては、優男過ぎて一番頼りにならないし。気が強くて頼りになる長女気質の母は、お通夜・葬式の諸々の準備とか頼られてるだろう。疲れて家に帰ってから、ぴよさんが「おばーちゃんおばーちゃん!」と追い掛けるのも気の毒だとか、色々考えちゃって結局今日も家にいる。
 お通夜は昨日のうちにやったらしいから、多分今頃はお葬式か。やっぱり行けば良かったかな。今までのお礼も込めてさ。
 人が好き、話すの大好きなおじいちゃんの事だから、あの世で五十数年前に亡くなった弟をとっ捕まえて母の事、私達兄妹の事を延々と話してるだろうな。

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